意思決定は人でなくてデータに基づいて行う
データというのは客観的な情報だ。
意思決定というのは正しい決定を行うこと。
真の意味で正しいかどうかは、何を正しいとみなすかに依存するし、
その正しさを測定できる必要がある。
だから、意思決定は常に「ものさし」を定めておく必要がある。
あらゆる意思決定は属人的とされるのが普通だが、
その意思決定の根拠は客観的でなければならない。
それはなぜか?
あとで振り返って「正しさを測定するため」だ。
ものさしがないと、あとでどういう条件のもと決定されたかがわからない。
それは間違っていたことに気づくことができないということだ。
間違うことは当たり前のことだから責められることではない。
では、なぜそこまでデータというものさしをもとにする必要があるのか。
それは、会社を持続可能な存在にするためだ。
今いる人達が甘い蜜を吸い尽くしてしまうような組織は近いうちに崩壊する。
それでよければ、属人的な意思決定をすればいい。
しかし、それでは今後給料が増えることも、やる気が出ることもない。
そこで、データに基づいた意思決定をすることが重要になる。
ものさしが誰の眼にも明らかであれば、たとえ将来それが間違ってたとしても、
「あのものさしで測ったら間違ってたね」とわかる。
しかし、みんなが共有するものさしがなければ、なんでうまく行かなかったか
永久にわからなくなってしまう。
証拠を隠滅することや、ミスを隠すことが、
犯罪をすることや、ミスをすることよりも悪質なのは、
それがおこならいようにするチャンスを奪ってしまうからだと思う。
同じように、ビジネスにおいても「誰が言ったか」ではなくて、
「どんなデータに基づいて言ったか」を見るべきだ。
もちろん、最終的な責任をとるのはマネージャーの役割だから、
思う存分、データに基づいて議論したり、提案することこそ
スタッフのやるべき大切な仕事の一つだ。
あと、やればわかること、実験すればわかることはどんどんやるべきだ。
マネージャーには「こういうものさしで実験したところこうなりました、
だから今後はこうしていきたいと思います」と報告をするだけでいい。
政治も定量化することができる
それでも、人間が集団になると社会になり、政治力学が生まれる。
これ自体は普通だし避けられないことだ。
ビジネスでは成果をものさしで測ることさえできれば、
実績があるのかないのかは一目瞭然になる。
それはシビアかもしれないけれど、とてもクリアな世界だ。
一方で政治学もデータに基づく研究が最近のトレンドだった。
大学に通っていた頃、流行っていたのが計量政治学だった。
政治学というのは不思議な学問だ。
一般的なイメージで言えば「政治」というのはワイドショーの中の政治だし、
地元の議員さんを応援したりするのは選挙の話だ。
それでは政治学では国会答弁について研究したりするの?と思うかもしれない。
しかし、実際はそんな研究はあまり多くない。
計量政治学や数理政治学というのは、
これはデータや数学モデルを用いて政治的な現象を説明する学問だ。
アンケートや実際の選挙結果をもとにしているのだから客観的と言える。
経済学のゲーム理論を応用した数学モデルもモデル自体は論理的だ。
政治というものを理論的・定量的に捉える試みは切れ味が鋭い。
そのデータに基づく限り、分析が正しければ、誰の反論も許さないからだ。
だから、誰かが独裁体制をひこうとしていたらデータを作ればいい。
「部長が思いつきで話をひっくり返した回数/意思決定の回数」
この割合が高ければ民主的な意思決定がされてない可能性が高い。
データに基づく意思決定がされていない可能性も高い。
このような場合、社長に申告すべきかもしれないし、
あなたが居るべき会社ではないかもしれない!
一方で、その意思決定が果たして人間として正しいかどうかを保証しない。
データというものはあくまでデータであって、
意思決定を行った結果としてどのような影響を誰に与えるのかを考慮しない。
だからマネージャーというのは価値判断基準を正しく持つことが重要だ。
それは切れ味ある答えにはならないかもしれないが、
最低でも人間的であってほしいと思う。
小学生の頃の道徳とまではいかないが、ビジネスという世界でも、
自分の意思決定の結果を想像できない人はマネージャー失格だ。
自分の事を棚に上げないように日々勉強するのが私の仕事だと思っている。