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何がわからないかわからない状態を解決するマネジメントの方法

それを「思考停止」だと断じても意味がないよ

中学生くらいから勉強についていけなくなった。
新卒で入った会社でもなんとなくそれっぽいものはできるけどツメが甘かった。

その理由は「何がわからないかわからなかった」からだ。

これはとっても深刻な問題で、自分の困りごとが言語化できないので、
人に助けを求めることもできなければ、自分で解決することもできないのだ。

仕事においては、どこを見てあげれば良いのか上司もわからないし、
何に困ってるかわからないけど質の低いアウトプットが出てきてイラつかせる。

でも、「何がわからないかわからない」人というのは相当困ってる。
うまくわからないけどモヤモヤしてて相当悩んでることが多い。

そこでイライラするような素振りを見せたら、もう二度と信頼されないし、
その人も永久にわからないままなんとなくやり過ごしてしまう。

まずは、わからないということがその人の能力や自尊心を損ねるものではない
ということを説いてあげることが一番先にすべきことだ。

それから次にわからない原因を特定する必要がある。
ただし、そのためには特定する側がわかってる必要がある。
分かってなければ、さらに混乱させてしまうことになるので注意。

わからないことを分解する

何がわからないかわからないときは、一緒にわからないことを分解する。
おおよそ3つのわからないで構成されている事が多い。

  • 2人が共有している言葉が共通しているかどうか?
  • 最適なフレームがあることを知っているかどうか?
  • 前提となる知識があるかどうか?

まず、疑うべきはそもそも同じ言語を共通しているかどうかだ。
片方は英語で片方は日本語であれば理解はできない。
その言葉の定義や意味を共有している必要があるのだ。

それは専門用語を使いすぎてたり、早口すぎたり、
不十分な説明だったり、もごもごしてたり。
とにかく「コミュニケーションが取れていない状態のこと」だ。
これは本人がしっかり人に伝えようとすることで改善される。

次に、わからないことを解決するための最適解を知っているかどうかだ。
計算であれば直感的な計算方法だったり、
法律であればどこを見れば応用できる判例が載っているかどうかを知ってるか。
多くは自分の力で考えるよりも、既存の知識を活用して解決できる。

そもそも、マニュアル通りやってほしかったり正しい答えがあるのなら、
特に初心者にはそのガイドラインをちゃんと提示してあげることが大切だ。
そのフレームが使えるようになれば、最低限仕事を教えられるレベルに上がる。

最後に前提となる知識があるかどうかだ。
四則計算の方法がわからないのに、微分はできない。
英語の文法がわからないのに、英作文はできない。
それぞれ前者と後者はレベルが違うので、突然は乗り越えられない。

一番はわからないことを責めてはいけない

最初にいうべきだったかもしれないが、
実はわからないを分解する前にマネージャーが把握すべきことがある。

根本的な原因の一つに「その人が悩んでいる可能性がある」のだ。
それは、仕事や勉強がわからないという以前に、
人生や毎日の日々に不安を抱えていたりすることでの無力感だ。

マネージャーとしてはその可能性を一番先に考えないといけない。
その状態で自分の能力が足りてないとか、勉強不足を指摘されたら、
どうなるだろうか。恐らく崩壊するだろう。

それを乗り越えられるかどうかは本人だけれども、
そこまで強い人間は多くないと思う。
だからこそその可能性は一番先に解決すべきだ。

そうじゃなくて、単に分からないことがわからないのならむしろ良かった。
地道にやっていけばわかるようになるのだから。

課題に対して更に解決しなければならない課題を明確化し、1つずつ解決していく必要があります。そして、教える側は課題を発見するための手助けをしてあげるべき

Qiita−「何が分からないのか分からないという思考停止 あるいは教える側の教わる側に対する立ち位置」https://qiita.com/numa08/items/18e5866f1e09c141c4f5

一方で、自分が教える側や上司だとしたときに、
学生や部下に対してわからないときにしっかり対応できるかと問われれば、
そういうことができないこともあるだろう。

人に何かを教えるというのはとても大変なこと。
逆に自分は何も知らない間違ったことを知ってるということに気付かされたり
したときは恐ろしいし、本来そういうことがないよう準備が必要。

だけれども、構える必要もないと思う。間違ってることは誰にもにある。
なので教える方も一緒に悩んだりしてもいいと思う。
人は間違えるんだということを受け入れることができれば、
教えられる方も、何がわからないかわからない人もすこし安心じゃないか。

その後に、ワカラナイを分解して少しずつ一番理解できそうなものに
取り組んでいけばいい。

おとなになるとそういうことを受け入れる心の余裕も、
そして勉強する時間もなくなっていく。

そんなときにわからないことを受け入れられる心さえあれば、
いつでもまたわかるようになるチャンスがある。

わかったような顔をしてごまかすのは一番ダサい。
そうならないように自戒したい。