メニュー 閉じる

人間と深く関わる分野には文系も理系も必要

今日はバックオフィスマネジメントの話や情報の話ではなく、
視点を変えてこれからの学問の話をしてみたいと思います。

 

建築学は理工系だけど理系だけではない

 

私が建築に興味を持ったのは大学院に入学してからです。
理工系の総合大学だったのですが社会理工という大きな研究科の中に私の専攻もありました。

この中に「社会工学」という分野がありました。聞いたことありますか?
聞いたことない人もたくさんいるかと思います。私も全然知らなかったです。
社会の中での様々な物事を工学的視点から研究しようというところから生まれています。

例えば、オペレーションズ・リサーチなど経営工学でよく使われる数理的手法、
土木工学や人間と環境についてなども工学的に作られながら社会への影響のある問題です。

建築学科もこの内の一つの学科でした。

建築というと一級建築士をイメージしますよね。
大手ゼネコンで設計をしたり、インフラの設計をしたり、商業施設や家の設計のイメージですよね。

確かに大学の建築学を専攻すると建築士の受験資格を得られるのですが、
実は、建築士になるのに必ずしも大学に進学する必要はありませんし、
なんなら構造設計や設備設計には建築士ではないエンジニアのほうが主流です。

建築というと「建物の設計」という技術職だと考えるところがありますが、
大学や大学院で学ぶ建築というのは、前提とする建築技術を踏まえて、
社会の中で何ができるかを考えるところと言えます。

私の友人にも建築学を専攻し大手ハウスメーカーを経て留学していた方がいます。
色々と大学での研究について聞いていたのですが、その中で一番驚いたのは、
建築が構造計算やCADのようなツールを学ぶ学問というよりは、
めちゃくちゃ自由なデザインの学問だったということです。これを設計業界では「意匠設計」といいます。

この仕事はあくまで建築主から要望を聞き取ってどのようなデザインにするか、
必要な面積はどのくらいかということを決めます。その次に、構造設計を依頼するのです。

ここでは確かにゴリゴリの計算やツール開発のような研究もありますが、
いわゆる建築士の意匠設計における建築学はどちらかというと、
人間と建物の関係を探求する学問に近い
と感じました。

つまり、建築というのは理工系、技術系の分野だと思っていたら、
人間的でデザインチックでクリエイティブな学問だったのです。

これはある意味当たり前で、人間が集う空間を作るのが建築であるとするならば、
人と建物の関係については深堀りして考える必要があります。

温度や湿度、災害への備えという自然条件の中で、人が使う建築物を作る必要があります。
つまり、物理的な前提があった上で私達がその建築に何を求めるのか、
そのための仕組みづくりとしてどうあるべきなのかを追求する学問だったのです。

いうならば変わらない代表格とも言える不動産という存在だって、
人間の考え方や行動が変わるのに従って形を変えていくのです。

私が高校生の頃にそのことを知っていたら建築という方向も考えていたかも分かりません。
当時は理系と文系という枠組みがまだまだ残っていて、
数学が苦手だった私はイメージで避けてしまったのが残念です!

 

エンジニアリングに貢献してればエンジニア

 

よく「文系エンジニア」と言われることがあります。
情報を専門で勉強してはいない人がコンピュータ関係のエンジニア職に付くとそう言われます。

実際にSIerには文学部から経済学部、法学部などのいわゆる文系学部卒のSEがたくさんいます。
スタートアップ企業のエンジニアにもそういう方は意外といます。

コンピュータは電気電子から派生した分野ではありますが、
極めて人間的な影響を受けざるを得ない分野です。それは利用に当たって人間が介入するからです。
その意味において情報は理系だけのものでもありません。

情報理論は極めて数学的な思考が必要とされる一方で、
HCIにおいては人間的、行動科学的な人についての理解も必要とされます。

機械や電気電子専攻の学生がなぜシステムエンジニアにならないかというと、
機械や電気のエンジニアリング職があるからです。

同じように情報系の人はシステムエンジニアになる人が多いですが、
文系エンジニアもいるのは情報系卒のエンジニアだけでは足りないからです。
それだけ必要とされているのはゴリゴリの情報理論だけでは、
人間が使えるシステムを構築することはできないからです。その意味で文系的でもあるのです。

コンピューターエンジニアリングというものが仕事になった歴史は比較的最近です。
モノを扱うエンジニアでは解決できない問題に取り組む必要がある以上、
文系的なエンジニアがいることはごく自然なことであるし、そうであるべきだと思います。

 

既に時代は文理で分けることは弊害しか生まない

 

アメリカの大学は基本的に入学後専攻を決めます。
だから、コンピュータサイエンス専攻でも途中で生物に興味をもったら、
入門レベルの講義から受け直せば生物専攻もできます。
そのままメディカルスクールに進学すれば医師になることも可能です。

一方で日本の大学は少しずつ改善されつつはあるものの縦割りが大きいです。
これは中国の大学も同様です。他の専攻に移籍することはできますが、両方専攻することは難しいです。

しかし、学問が元々一つの大きな分野だったことは歴史的に自明です。
博士を世界ではPhDとかドクターというのはDoctor of Philosophyだからでつまりは哲学博士ということです。
元々、Science(自然)やArt(人工的)を対象にして考えることが学問であり、
そこから、より社会に役立つものを考える分野がEngineering(工学)なんです。
つまり、文系とか理系という分け方はそもそもは無いのです。

これからの時代大学入試は全員統一試験を受けるようにしたら良いと思います。
日本人は十分勉強してますからこれはあくまで全教科勉強したという大学入試資格程度のものです。

プラスで大学側の面接や論文試験等を通して選抜して、1,2年生のうちに専攻を決めさせないことです。
そして、眠くなる講義をする先生が増えないよう授業の学生評価と社会的評価を重視すべきでしょう。

 

90年代に総合的な学科が生まれたのは必然でした。

これは社会変動や進展に伴って情報や社会工学の分野の重要性があったからです。
一方でこうした人材を新しいビジネスの推進者としては活かしきれてはいません。

旧来の枠組みの中で研究は多角化しています。
情報学やバイオエンジニアリング、オペレーションズ・リサーチ、
データサイエンス、統計学などは複合的にそれぞれ絡み合って発展しています。

そして、これまでモノはモノだった時代から、人工心臓や義手、補聴器のように、
人間への適用ということが求められるようになりました。

すると、当然それを使う人間の人権問題や環境問題といった人間への関心も強まりました。
こうして人間社会とエンジニアリングについての問題を探求する分野が生まれ続けています。

人間工学やマルチステークホルダープロセス、環境科学、都市工学、経営工学、
行動科学、心理学、社会学、哲学、応用数学、社会シミュレーション、進化生物学…
人間についても考えなければならない以上は文系理系という枠組みでは捉えられません。

こうした分野をテーマにすることは、現実の社会的課題の本質を理解し、
どうやって解決するかを探っていくことです。

何を守り、あるいは変化させ、どんな未来を設定すべきかを議論する。
自然と人間がどう関わっているのかを観察し、現実的なシナリオを描く。

現在の最先端はすでに文系と理系の両方から捉えることがある意味当たり前になっています。
特に物理的現象にとどまらず社会や人間との相互作用が大きいであろう、
社会工学系や情報系の分野においては技術や合理的思考の上に、
人間がどのように扱うのか、感じるのかという極めて抽象的な課題と向き合う必要性があるのです。