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日本でシステム業界を生き抜くエンジニアのための考え方

「私はコンピューターが大好きです!」

 

高校生の頃には秋葉原でなけなしのお小遣いを使って自作PCを組み立てたり、
オンラインゲームのサーバーを立ててたくさんの人に使ってもらったり、それは楽しかったです。

今でもコンピューターの可能性にはいつも驚かされますし、
小さなノートPC1台でできる無限の可能性に心を躍らされることがあります。

ですから大学は経済を専攻しましたが、大学院はシステム科学系の専攻に進学しました。
将来もSEになろうと思ってました。

しかし!

仕事としてのシステム開発について話を聞いているうちに、
どうしても違和感を感じてしまったのです。

 

これから述べる内容は私個人のひとつの考え方です。
そして、現在私が描いているような世界が実現できているわけでもありません。
既存の仕組みを乗り越えたい思いはありつつ、
既存の枠組みに身を置きながら新しい価値を模索している一介の人間です。

 

日本にはSIerから先の素敵なキャリアは一つもない?

 

「言われたとおり動くシステムをなるべく早く安く作る」

 

このこと自体はビジネスとして当たり前のように聞こえるかもしれません。
顧客の指示通りに完璧なものを納品する。これが最低限のビジネスの鉄則です。

日本のシステムインテグレータはほとんど完璧にこれをやっているかもしれません。
しかし、本当にこれで価値を生み出しているのでしょうか?

 

SIerのサービスで感動したことはありますか?
政府の提供するITサービスで秀逸なものは思いつきますか?

 

実は日本のシステム業界のやっていることは、工場の生産ラインと変わりません。
確かに仕事としては必要なのですが、自分が価値を作るのに貢献しているとは言えません。

 

「アメリカのエンジニアの給与がなぜ高いか?」

 

給与が高いことがすべてというつもりはありません。
しかし、皆お金が大好きですし、一つの指標であるため取り上げます。

物価は確かにアメリカのほうが高いのですが、トップのエンジニアがもらえる報酬で比べると、
日本の比ではありません。アメリカにはエンジニアが少ないからと思ってませんか?

実際には人口比で比較してもアメリカのほうが日本より多いのです。
それでも、ITエンジニアから高給取りになるルートがあります。

 

それは、一人ひとりが価値を作ることに貢献しているからです。
それが出来ないエンジニアはやはりそこまで報酬が伸ばせないのは事実です。

例えば、社内SEでも業務改善で成果を出したりすれば経営コンサルタントになりますし、
Excelのマクロが使えるだけでもデータベースの知識を身に着けて、
売上管理や予測ができる人材ならデータアナリストに転身できるのです。

もちろん、ひたすらコードを書いたり、アルゴリズムを考えるのが好きな人もいます。
そういう人にはそういうポジションを与えられる仕事がある会社もあります。

 

実は日本でも同じように「自分で考えて仕事ができれば」同じことは可能です。
しかし、そこまで考えて自分の仕事に取り組んだことはありますか?

言われたとおりコーディングするプログラマのまま昇給するのはほとんど不可能です。
なぜなら、やはり「自分が価値を作るのに貢献していない」からです。

私は大学院まで進学してしまいましたので知り合いのエンジニアもたくさんいます。
だから回りを見渡すと、優秀なエンジニアはたくさんいます。
しかし、本当にその能力を価値創出に活かしている人は殆どいないと感じます。
(人生を謳歌している人はたくさんいますけど)

日本のシステム業界では一人の人間が価値を作ろうと奮闘して社会に向けて力を活かすというより、
自分が安定して良くなる仕事をするほうが楽です。
しかし、それはなんとなくつまらないけれど生活を維持するために仕事をすることになります。

それは、個人の考え方なので他人がどうこういうことではありません。
既存のSIerの仕組みはすでに社会に最適化されて、現状の仕事の仕方で売上が上げられるし、
その方がリスクを犯さなくて済むので、それはそれでみんなが求めているものが手に入るのです。

 

でも本当にユーザーの役に立つ、ユーザーが涙を流して喜ぶシステムを作ろう、
そのために人を説得して、布教活動して、一緒につくろう、
予算をなんとか懇願して、毎日改善して、失敗を許してくれる人を見つけて、
本当に貢献しようと思っている人などほどんどいません。それは残念です。

もちろん、全員がそうなる必要はないと思います。
しかし、どこか虚しさを感じるのは私だけでしょうか。

 

大手のSIerのエンジニアは優秀です。人柄もいい人だってたくさんいます。
しかし、目の前の仕事は顧客の指示に最適化された設計と工数管理と営業です。
役に立つ仕組みを考えようというのは余計な考えです。

こうした仕事をする会社の社員がシステム業界では一番報酬が高いのです。
もちろん、これらは大切な仕事です。

しかし、ここまで作業的な仕事をしている人材ばかりいたら新しいことはできません。
競合他社なら引き抜いていい人材が欲しいかもしれません。
でもそれはゼロサムゲームですよね。

何か新しい価値が作れる人が増えるわけではありません。
個人の報酬は高くなっても社会に与える影響はありません。
それどころか、使われないシステムを作ったほうが売上が上がるのです。

そうした環境では優秀かどうかなんて関係なしに、
自然に全員が既存の仕組みを維持することが目標になります。

心の奥でなんとなく間違っているような気がしても、
そのレールに乗っている自分が降りた瞬間、
価値は暴落してしまうからできないのです。

 

ユーザー視点とは自己と他者について考えること

 

私がアメリカのシリコンバレーや中国の中関村に滞在していて感じたことがあります。

それは「バカみたいに素直に人について考えている」ということです。
どうみてもありえないアイデアであっても、確かにあったら面白いかもというものを真剣に考える。
その背景に必ず、経済的に大きな成功を期待できて、
かつ自分たちの認識した課題解決ができるという要素があります。

日本でも同じような熱意を持つ、スタートアップ企業が増えており、
中には素晴らしいプロダクトを持ち、成長を遂げている会社もあります。

ですから、日本はダメとか遅れているとかそういうわけではないと信じています。
しかし、やっぱり自分も含めて人に対する興味関心や、行動、面白がる熱意というところで、
どこかまだまだ「社会」をどうしたいかという大きな視点が欠けているのです。

 

中国で知り合った韓国人のクラスメイトの持論ですが、
日本人や韓国人は「お上信仰」が根付いているのだそうです。

そう考えたことはありませんでしたが、日本は本当の対話や議論が成り立ちにくい社会です。
上下関係が優先したり、議論しようとしても反論されているように感じ、
人の話を聞くことができない人が多く、
そして、それらを乗り超えてまで意見で立ち向かうということを良しとしません。

すこしばかり大きな話になってしまいますが、
そこには、社会や自由という考え方が根付いていないということもあるのではないかと思います。

日本人はフランス革命やアメリカ独立戦争のように、
自分たちの国のために立ち上がったことはありません。

江戸時代から明治時代になる際に「自由」を自分たちで勝ち取ってないので、
自分たちの社会についての深い思想が育たなかったのではないかと考えています。

 

選挙にも関心が薄く、投票に行かない若者も多いですが、
もし少しでも不満があるなら関心を持たなければなりません。
自分に有利にシステムを変えるためには自分が行動しないといけないのです。

本来は全員がそれぞれ社会のために考え、意見を戦わさなければならないはずです。
しかしそこまでの政治活動は良しとされませんし、支持されないのです。

私達が社会や自由、そして当事者性(我々≒ユーザー)を意識出来なかったのは、
自分たちが気づこうとしなかった、人間同士の対話から目を背け続けたからです。

 

当事者性がないということは他人事であり、誰かが決めてくれるのを待つことです。
さらに言えば自分たちでニーズを作り出す価値観や希望が持てないということです。

自分たちがどうしていきたいかを描くことができなくなった結果、
「ユーザー」について考える力が弱くなったのではないでしょうか。

そうした社会では自分で自由や社会について真剣に考えたことがなく、
そうした世の中を構成している自己と他者の違いについて鈍感になります。

ユーザーとは私達一人ひとりであることもあるし、全く知らない人であることもあります。
そうしたすべてを想像すること、そして対話することによって初めてユーザーを知るのです。

 

なぜシステム開発の世界はおかしくなっているのか?

 

私が就職活動をした2012年から2014年頃は、
オフショア開発やニアショア開発が東南アジアや日本の地方で広がり、
MtoM(IoT)という概念が広まってきた頃で、
私も公共インフラのIoTサービスをやりたいと思っていました。

私も当初は憧れの大手システム会社に入れることが大変嬉しく入社する気満々だったのです。
先輩方は良い人達で、国を支えるインフラに携われる。

しかし、よくよく話を聞くとユーザーのことは一ミリも考えてないように思えたのです。

ただ単に、要件に合わせたシステムを開発する企業であると定義づけられた瞬間、
それ以上のことは出来ないことに気づいたのです。

 

システムは最終的にユーザーのために使われます。

それは、最終的には経済活動をより活発に行うためだったり、
国や地方自治体のサービスをより良くするためだったりします。
それはリーダーがステークホルダーのために掲げる目標です。

つまりシステムを作るためにはリーダーの目的を知ること、
それはエンドユーザーである人間を知ることが必須なのです。

 

しかし現実のシステム開発においてはこうした最終形は誰も見えないで仕事をしています。
それは、お金を払うのは国や地方自治体の公務員や、大企業のシステム部だからです。

悪いことに日本ではITは「単なる効率化の道具」として扱われてきました。
システム開発はお金がかかるもので、コストであり、
業務には役立つが経営に役立たないとみなされてきたのです。

さらにエンジニアという名前が付くことから技術信仰と合わさってシステム部は、
「技術は詳しいけど経営センスのない人」の集まりになります

それだけならSIerがプロとしてコンサルティングを行いながら、
経営に資するようなシステムを提案することもできるのでしょうが、
SIerにはそうした経営を知っている人はいません。

こちらもまた、技術は詳しいけど経営センスがないからです。
業務はしってるけど経営は知らないのです。

コンサルティングもシステムだけを専門にしている限り大きなインパクトは残せません。
なぜなら口だけだからです。

 

結局、両者はどちらも経営を知らない人の集まりですから、
本当に良いシステム設計はできません。
すると「頭のいい人が頭だけで考えたシステム」になります。

頭がいい人はロジックは組み立てることが得意ですから、
言われた通りの仕様を満たして動くものができれば納品できるので、
システム開発はそれを満たすものを目標にして行われます。

しかし、目的を見失ったシステムにはユーザーの「ゆ」の字も存在しません。

 

まあ、完璧なシステムが作られるのならそれでも役立ってるのかもしれません。

 

しかし、どう頑張ってもシステムは完璧になりえません。
なぜバグが発生したり、おかしな仕様やデザインのソフトができるのでしょうか?
これはシステムとそのものが人間によって形作られ、利用されるがゆえの必然的な帰結なのです。

 

私にはプラントエンジニアの友人が何人かいます。
彼らは語学力とエンジニアリングセンス、人間力を活かし世界中を飛び回る秀才です。

そんな彼らが携わる大規模なプラントは限りなく自動化されていますが、
こうした工業プラントにおいても計画通りに運用できることはまずありません。

実際に稼働すると計画どおりはうまく行かず、様々な問題が発生します。
だから、このような秀才を現場に送り込み現場で解決策を会議し修正するのです。
日本が得意としていた技術的すり合わせを泥臭く行うエンジニアには尊敬の念を懐きます。

言いたかったことは、こうした運用にはほとんど人が関わらないような自然相手でも、
様々な要因や予想外の要素が影響してたくさんの不都合が出てくるということです。

 

そう考えるとERPパッケージやデジタル・ガバメントなど、
人間が使うものにおいて頭で考えたシステムがそのまま使えることは絶対にありません

人の手がほとんど入らない設計ができるものですら現実的にすぐ実用可能になることはないのに、
人間が使うことが確実なシステム開発で頭だけで考えた開発方法が、
うまくいくと考えている方がおかしいということに気づかなくてはなりません。

残念ながら、そうした現実は経験則として学んでいるにも関わらず、

 

「とにかく不都合が起こらず、仕様を満たす最低限のシステムを作ろう」

 

という考えが跋扈しています。
要求された仕様を満たし、不都合が起きなければ一応使えるわけですから、
それで十分お客様の期待に沿うことができるのです。

しかし、人間が使うシステムですから結果的に全く使えないシステムが出来上がります。
なぜならユーザーのことを考えていないからです。

仕事では仕様を満たすものを納品することが第一の目標になっているのです。
結局、人間がつかうはずのソフトウェアが人間には使えないものになるのです。

 

数学の世界をコンピュータに入力することも実は難しい

 

これまでは、システムが思っている以上に複雑で人間的であることについて論じてきました。
しかし、さらに根本的に情報理論の視点から見ても深刻な不可能性が横たわっているのです。

コンピューターと人間の関係性を掘り下げると必然的にバグを内包するというのです。

つまり、どんなプログラムも人間が最初に書かなくてはなりません。
その意味では根本的にバグを内包してしまうのです。

現在ソフトウエア開発で用いられるテストは、
色々と試してみることでバグを発見し除去する方法です。

これでもバグを取り除ききれないというのは日常的に感じていると思います。
現時点においてこれ以上の方法はありませんし、おそらく自動化されることはあったとしても、
方法論としてこれ以上の方法はないでしょう。

かつてエンジニアたちは数学的、論理的基盤に基づいたソフトウェア開発ができれば、
バグはなくなるだろうと考えました。

これが「形式的開発、形式的検証」です。
しかし、これに基づいたとしてもバグを内包することが分かっています。

かなり昔から、これまでに何人もの数学者や情報理論学者が、
数学の理論をそのままコンピュータ言語に落とし込もうと挑戦しています。

形式的証明は証明検証系というツールで正しさをチェックすることができるのだそうです。
これができれば数学の世界がまるごと計算でチェックできるからです。

しかし、実際は形式的証明ライブラリとして構築する試みは失敗しました。
数学上の概念をプログラム言語に似た形式言語に写し取る際のバグが発生するのです。

 

どれだけ優秀でも完璧な論理を構築することは不可能だということです。
理想的には素晴らしいのですが論理だけでは現実的に成立しないのです。

それでは、人間がシステムを作るにはどうしたら良いのでしょうか?
それはシステムを論理だけで捉えないことが大切なのです。

大げさに言ってしまいましたがコンピューターは超厳密で、
扱うのは人間なのでうまく翻訳できなくても仕方がないということです。

 

なぜアジャイル開発やリーンが重要なのか

 

「アジャイル開発の時代です!」

 

最近はこういった話を聞くことが増えてきました。とても嬉しいことです。

アジャイル開発は開発の方法論で、ウォーターフォール型開発と比較されます。
ここまでは基本情報技術者試験にも出される内容です。

しかし、本当の意味でこの重要性が分かっている人はまずいません。

ただ、これまでの話からシステムは論理だけでは作れないこと、
そのことについて少しは伝えられたかもしれません。

するとアジャイル開発とリーン生産方式、デザイン思考は必然的に必要であり、
自然に導かれる解決策となる可能性があることが分かってくるかと思います。

実はこれらの考え方は究極的には、

 

「価値」

 

を発見するための人間ができる実現可能な考え方の最短ルートと考えることができます。

これらは単なる新しい開発方法や流行の思想ではなく、
人間ができることで本当に価値を生み出すための、

最も優れた行動指針が示されているものなのです。

アメリカのシリコンバレーにおけるスタートアップ企業のバイブルとなりつつある、
「リーン・スタートアップ」という本は、
トヨタ生産方式(TPS)と5S、カイゼン活動を体系化した「リーン生産方式」に習ったものです。

リーン(Lean)は無駄を省く、贅肉をとるという意味の単語です。
この意味を掘り下げて考えると、結果的にやり方がリーンになっていたということで、
重要なのは早く、なるべく正確に、不確実性下で価値ある目的を達成するための考え方なのです。

70年代に日本の製造業から学んだ考え方が米国でITの新しいサービス開発の思考法として、
少しずつ発展を遂げていたのです。だから決して新しいものではないのです。

トヨタは生産方法としてこれらの思想を確立しましたが、
本質的には本社社員ではなく現場の従業員が価値の要を担っていることに気づくでしょう。

現場が分かっているからこそカイゼンができるからです。
だから問題が発生したらラインを止める権利も当然あるのです。

現場の工員一人ひとりにそうしたカイゼンに貢献するような発見が求められているのです。
それこそがトヨタの最大の強みでありトヨタ生産方式のコアとなる価値と言えます。

 

同じことをシステム開発でも行うことができるはずだと考えられます。
そのためにはまず「目的」が定められていることが必要です。

そして、現場でコードをかいているエンジニア一人ひとりの気づきを反映させるのです。
その判断基準は人間が使うシステムなら「ユーザー中心」で判断される必要があります。

ユーザーの問題解決のためにシステム開発を行うことを目的として、
そのユーザーの課題はまだ仮説であるならば、
全員で有力な仮説から検証しながらシステムを構築していく。

そのための体系化された一つの考え方がアジャイル開発という名前なだけなのです。

当然、全員が同じ意識を持っているわけではないですし、そこまで理解している人は少ないので、
プロダクトオーナーやプロジェクトマネージャーは毎日そういう意識を自覚させるよう促しながら、
分業して価値最大化のために何が必要かを日々考えるという役割があります。

いちばん大切なことはオープンマインドでユーザーのことを考えて、
何度も何度も作り直すという意識が、作る側と作ってもらう側の両方で醸成されていることです。

実はこのような思想が方法論ではなく哲学としてしっかりと浸透していれば、
現場でコーディングをしているエンジニアにも使命感が自然と生まれます。

それは単にコーディングをするのが仕事なのではなく、
ユーザーのためにときにはコードを書き換える必要があるかどうか、
判断することも自分の使命だと感じることができるからです。

 

現実は目的を誰一人として把握しないままプロジェクトが進むので、
結果的に1年という予算の範囲で仕様を満たすことだけに目的が定められます。
こうしたやり方ではアジャイル開発も取ってつけたような方法論に成り下がるでしょう。

なぜなら根本的にはこれまでのシステム業界の商習慣を破壊する考え方だからです。
予算の枠がガチガチに決まっているクライアント企業でこれを実行するのは不可能です。

そこまで熱意を持ったシステム開発企業の営業担当者はほとんどいませんから、
大手のSIerが完全にこの思想を手に入れることはできません。

すると、概念として知識はあるけれど、それは単にふわふわした要件を、
適当にアジャイルっぽく回してやった感をだしつつ、納期に間に合わせる出来レースになります。

会社としてもウォーターフォールを前提に組み立てられた予算を達成できなくなり、
事業の継続性に疑問符が付けられたりしたら溜まったものではありません。

これまで築いてきた安定性が崩れ落ちてしまうからできないにもかかわらず、
やれDXだ、アジャイルだと形だけを真似して、
本質を考えたことのないこれまたダメなリーダーをそそのかすのが仕事になるのです。

 

エンジニアのマインド変われば世界も変わる

 

「それでは、一人のエンジニアとしてどうすればいいの?」

 

この問いに対しては、自分の憧れるエンジニアを見つけてくださいと答えます。
その先人のマネをすればキャリアパスは限りなく近いものになるからです。

これは自分がどうなりたいか、生きたいのかにつながる重要な問題です。
しかし、心配することも無いと思います。既存のシステム業界が崩壊することはありません。
まだまだ保守や拡張の業務は継続していくからです。

しかし、何度も繰り返すように自分で価値を作れなければいずれ頭打ちになります。

そのことはせめて身近な人達には分かってほしいと願っています。
残念なことに日本ではアジャイル開発やリーンの思想を実行できる文化を持つIT企業は一握りです。

今気づけたあなたは少しずつ意識して憧れの生き方をしているエンジニアから学んで下さい。

ブログをしていたら、あなたもブログをしてみる。
書籍執筆をしていたら、あなたも書籍執筆をしてみる。(新しい技術なら出版社は喜びます)
勉強会に参加していたら、あなたも勉強会に参加してみる。
資産運用をしていたら、あなたも資産運用をはじめてみてください。

きっと、自分では気づけなかったメリットをその人は教えてくれるに違いありません。

 

京都大学の林教授は科学技術政策研究所・科学技術動向センターのレポートにおいて、
日本やアメリカの先進的なIT教育の事例を探し出し、
公立はこだて未来大学の学部の教育システムを取り上げています。

しかし、学生たちが社会に出るとそこで水をかけられてしまうということを思い出し、
いくら人材を育成しても、それは社会の中の人材なのだから、
社会がそれを受け入れないのではその人達を傷つけてしまうだけだと気づきます。

そして日本のITの問題を、人材を生み出す人材育成の問題だと誤解し、
それを改善すればすべてが解決すると思っていた。
しかし、これは受け手側の問題であり、そちらの問題のほうが大きいと指摘しています。

 

個人的には林先生のおっしゃっていることは悲観的過ぎるとは感じます。
でも言いたいことはわかります。
学生のうちからこのような小さな素晴らしい仕事を学べるのは本当は価値のあることです。
希望を与え続けて世の中に羽ばたいてほしいと願っています。

ただ、学生がこうした活動を通して、本当に自分から何か気づきを得たのであれば、
普通の就活などしません。つまり日本のシステム業界の悪いところはすぐに見抜けるはずです。
そうすれば、どこに配属されるかわからないようなシステム会社になど入社しないはずです。

その意味では学生も、大手を進める大人も枠にとらわれていると言えます。
何をやってるのかわからない大手システム会社の環境を自分から選んだ結果として、
つまらない仕事ややりがいのない仕事だと言っているのならそれは自明だからです。

 

私は「お金を頂けるからそれでいい」とは思いません。
最終的に役に立たないシステムを作るのは本当に辛いです。
しかし、お金が全くもらえない仕事で身を削るのも間違いだと思います。

 

残念ながら多くの仕事はこうした大きな社会システムに組み込まれている以上、
そこから変えることはほぼ不可能です。

しかし、新しい価値観を持って、自分のキャリアを変えていくことはできます。
ココロファンにも実績がないところから少しずつスキルを伸ばして、
積極的に新しい考え方を取り入れながら仕事をしているエンジニアがいます。

 

こういう人たちがもっと増えて欲しい。
そして、こういう人たちが結果的に高い報酬を得られるような文化であって欲しい。
そんな夢のようなことを実現するのが経営者なのだと信じています。

 

私は結局、コンピューターエンジニアを選ばず別の専門職を選びました。
その選択も誤りではなかったのですが、エンジニアには良いところがあります。
それは、仕事を経験したスキルを完全に自分の腕にすることができるところです。

その意味において、学歴や学閥関係なしに高い報酬も得られる可能性がありますし、
腕一本で世界中を渡り歩くことができます。

もちろん、ずっと言われたことだけをやっていたら頭打ちになります。
だから、いずれ自分の名前を売ったりするため、研究開発やマネジメント、
サービス開発など付加価値の高い仕事に挑戦しなければなりません。

だからこそそれができる会社にしたいですし、
そこを目指す人がもっと増えて欲しいと願っています。

 

ここで一つ全員にできることがあるとすれば、
エンジニアこそ人間(経営)に関心を持つことです。
エンジニアというのはEngineerという名の通り工学技術者のことです。

工学は「より豊かな生活ができるようなんとかするという学問」です。
エンジニアを名乗るのであれば、自分が関心を持っている人間の課題を見つけ、
解決するためにスキルを使うべき
なのです。
そうでないならばエンジニアではなくただの作業者でしか無いはずです。

 

誰のための仕事で、どうしたら持続可能なシステムをつくることができ、
これをすることでどのくらいの価値があるのか(金銭価値だけではない)
そして何より自分はその仕事をすることでどれくらい満たされるのかなのです。

正直、既存のシステム業界の仕組みの中で個人の報酬を最大化するなら、
次々に会社を変えていったほうがよっぽど稼げるでしょう。
それもまた一つの生き方だと思います。

しかし、アメリカや中国で毎日新しい価値を生み出すために仕事をしている、
若者たちと比べると全く夢がなく、競争力のない人材になってしまいます。

 

何が自分にとって重要なのかという問いに立ち向かうことから逃げてはいけません。
エンジニアは他の職業よりも世界を変える可能性がある技術を持っています。

あとは、何にその力を使うことが一番満足できるのか考えることです。
その問いに答えを定め、自分を奮い立たせなければ一生作業者であり続けてしまうのです。

人の価値は決して売上や年収で決まるものではありません。
しかし、新しい価値を生み出す思考とユーザーのことを考えるハートがあれば、
結果的に人から尊敬され、生きていけるだけの報酬を得ながら生き残ることはできます。

 

システムが何のために必要なのか?
経営や問題解決に貢献するために何をするのが最適なのか?

 

我々もときには自分が強みとするITやシステムという道具のことを忘れて、
真剣にユーザーの課題に向き合い、適切な提案ができる人材こそがこれから生き残ります。

そして、エンドユーザーも大局を理解してくれる本当に思想に気づかなければ、
技術があっても本当に役に立つシステムを作ることはできないのです。