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知識を持って、町に出よう|寺山修司を未来経営的に解釈してみた

「書を捨てよ、町へ出よう」という寺山修司の本があります。
もともとこの文はアンドレ・ジッドの紀行的詩文集『地の糧』の一節です。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000044366

読書が好きな人にとっては挑戦的なタイトルだと思う一方で、
すでに町に繰り出している人にとっては当たり前のことに聞こえるかもしれません。

ちなみに、私はこの一文を「今こそ書を捨てて、町にでるべし!」という、
自分を奮い立たせるセリフだと思って読みました。

つまり、書を持っている状態から捨てるという行為、そして家の外に出るのです。

寺山修司は書をたくさん持った状態から、町にでる決意をしたのです。
その結果、あの荒々しい文体や表現に至ることができたとも言えます。

意識的に読書をしていない人はほとんど捨てる書もありません。

生きるために実践し続ける過程で資格を取得することはあっても、
職業人としての魅力を高めるためのツールであって、
血肉になるような知識にはなっていないでしょう。

捨てるための書があって、そこから得た知識があって、
初めて町に出たときに新しい問題に立ち向かえると思うのです。

情報の非対称性でお金を稼ぐ時代の終わり

その意味では、寺山修司はまさに王道のことを言っていると思います。

それに現在ではかつてよりもさらに知識だけではなく行動することが重要になっています。
知識はもはや持っているだけでは役に立たない時代だということです。

これまでも書を持っているだけでは稼ぐことはできませんでした。
しかし、現代はより実践と結びつくことを求められています。

実は、少し前まで貴重なこと、他の人は知らないことを知っていることは、
お金を儲ける手段として直結しました。

近代国家ではこれらは公的資格として現在も残っています。
そもそも、公的資格が生まれたのは全国民が平等に自由を享受できるよう、
法律等のシステムを健全に保つために国が認めた有資格者に、
その業務を認めることで、提供されるサービスの水準を維持することが必要だったからです。

かつては法律や税務を知っていれば先生として尊敬されましたが、
今ではそれしか知らない人という慇懃無礼なニュアンスも持っているように感じます。

同じように特許という新しい権利も近代国家において発明されました。

知的財産権というメカニズムでは知識を保護することで、
それを独占的に利用して、その知識に基づく製品やサービスを提供することで利益を生みます。

これは、発明家が高いリスクを負って開発しているにも関わらず、
コストが回収できなければ誰も新しいものをつくらないだろうということから、
経済的権利を保護したことに始まります。

しかし、現在では工業や情報通信では知識が陳腐化するスピードは加速しています。
すぐに真似されてしまう上に、より良いものをつくられてしまうのです。

このような世界では特許を持つ意味があまりありません。
まだ、製薬業界のように多額のR&Dを必要とする場合は、
知的財産権として保護されることが大きな意味を持ちます。

しかし、ちょっとしたアイデアで安価に開発することができる現在において、
知的財産権を回避することもまた容易であり、すぐにその優位性を失ってしまいます。

そして、利益を守るためのコミュニティーとしての会社というのもまた古くなりつつあります。
現代では新しい価値は会社から生まれるものだけでなく、
オープンソースプロジェクトから新たな富が生まれることも普通になっています。

常識的に考えて無料で百科事典の編纂を請け負う人はいません。
タダ働きでソフトウエア開発を請け負う人はいません。

百科事典は数万円で販売されるものだったし、
ソフトウエア開発はベル研究所や軍事機関で行われるものでした。

しかし、現在ではそうとも限らないのです。
Wikipediaは利用者が知っている知識を少し提供するだけで、
全体としての辞典の価値は高まりつつあります。
今ではほとんどすべての人が一度は使ったことのある百科事典になっています。

法人向けシステムでもバリバリ使われているLinuxというオープンソースOSや
Hadoopというオープンソース分散処理ミドルウェア、
Java、Ruby、Perl、PHP、Pythonなどのオープンソース言語は誰でも知っています。

Githubに行けばMITライセンスで誰でも、それはたとえお金儲けであっても自由に使える
ソースコードが山のように公開されています。

それをどう使うかも自由、お金を儲けるのも自由、
その基盤を作っているのは一部の会社ではなくて集団のちからなのです。

知識が役立つのは、使うことを考えたときだけ

「知識のストックの価値が、加速度的に減少していることが問題だ」

経営コンサルタントのジョン・ヘーゲル3世はそう言っています。

個人的には別に問題では無いと思いますが、
つまり、経済的価値の源がストックからフローへ移り変わっていることを指摘しています。

どんな人でもウィキペディアの編纂に携われるように、
どんな人もより多様な知識のフローの幅広い領域に効果的に参加できます。

世界中の人がアメリカの有名大学の提供するMOOCsに無料で参加できます。
その中でも知識のストックが提供されフローとなり、
新しいアイデアや出会いが生まれています。

それらは素人集団のようですが、既存の企業よりもよっぽど先駆的です。
彼らにとってこのコミュニティーを活気づけるような企業こそがヒーローであり、
経済的メリットにしか関心のない合理的主体は軽蔑されます。

だからこそ、フローを活気づける活動をしている企業こそが、
今後、最大の経済価値を創出することになると考えられるのです。

都市に集まる知識が結びついて新たな知識のフローが生まれる

このフローが合流するところ、それが都市です。

日本であれば東京、名古屋、大阪、仙台、福岡、札幌などでしょう。
アメリカならニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、シアトルなどです。

都市に集まるのは人であって、人は知識を持っています。
人が都市に集まるのはそれだけ、魅力的なフローが生まれているからです。

これまでは本や教科書で勉強したことを資格や知的財産権として保有することが、
価値を生み出すための鍵になっていました。
しかし、今ではあまり魅力的な選択肢ではなくなっています。

それは、知識のフローが陳腐化するスピードが加速化していること、
そして一人の知識で新しい価値を生み出すことが難しくなっているからです。

これからの時代は一人の知識が新しい経済的、文化的、
社会的価値につながる可能性はますます低くなります。

それは人間一人の知識の限界であり、そこに一人で挑むことは自殺行為です。

都市に集まる知識を活用して、新しい知識を生み出す流れに参加することこそが、
今後、高い価値を創出するために一番に求められる活動となるでしょう。

もしかすると、会社という組織自体も古くなりつつあるのかもしれません。
一方で一人ではなにもできなくなりつつあります。

このダブルバインド的状況を突破するのは都市の多様性と、
そこから生まれる小さな集団、コミュニティーなのではないでしょうか。

未来を見通すことはできませんが、
流れに従うことは、誰しも耳を澄まして身体を任せれば簡単です。

さあ、知識を持って、町に出よう。