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当事者意識とは自分の人生にリーダーシップを取ること

自信と責任感と目標のサイクル

「自信が付けば責任感も高まり、目標も達成できる」

『世界のエリートはなぜこの基本を大事にするのか』という本で筆者の戸塚隆将氏は論じています。
自信を生み出すためには小さな実績が必要でありそこには基本が必ずあるという指摘です。

過去を振り返ったときに後悔したこと、恥ずかしかったこと、
失敗したことがあるという人は多いでしょう。私もその一人です。

しかし、自信というのは自分で作り出すものでしかありません。
だからこそ、過去を振り返るならかならず「成果」や「誇れる部分」を先に思い出す。

仕事ではなくても、プライベートではあればそれで良いのです。
とにかく「成果」と「誇れる部分」を書き出してみること。

その後で、十分にやりきれなかったことを見つめて、必ず優先順位を付けること。
プラスの面に目を向けるというのは単なる精神論ではなく、
自らの存在価値を自ら定義し直すという根本的な考え方です。

何も手につかない日があったとしても、1ページ本を読めたとしたら、
いや、1行でも本を読めたらそれはれっきとした成果なんだと認めていいんです。

そんなことは誰でもできるなんていう他人の批判は先回りしない。
とにかく自分の自信をつくることに必死になることが一歩につながると思います。

それに、過去の失敗はフィードバックであって失敗ではない。
次にどう活かすのかを試行錯誤してみることが先に進むことに着実に繋がります。

その時「これをやりきった先に自分の達成したい卒業はあるのか」考えることは大切です。
もし、ないのであれば今やっていることは目標につながらない可能性が高いからです。

目標はあくまで人生の目標である

あなたは何かを諦めたり、途中で放棄したことがありますか?
もし、そう思っているならこれからは二度とそうならないようにしましょう。

これは決して客観的な事実とは異なります。

堀江貴文氏は東京大学を中退していますね。
寺山修司氏も早稲田大学を1年で中退しています。
タモリ氏もまた大学を中退しています。

良い大学と言われるところに入学しても、中退したら高卒です。
しかし、彼らはそれを恥じているようには少しも見えません。
それぞれに自分の力が活かせる場を見つけています。

学歴はお金と違ってあとに残るものなので気にする人が多いものですが、
お金の前には平等ですから堀江貴文氏やタモリ氏はお金持ちです。

どれだけ高学歴だろうが、商売の能力がある人にはお金がやってきますが、
そうではない教授や博士にはお金がやってきません。

そう考えると、中退しようがなんだろうが自分は何を得たかったのか。
そしてその選択の結果自分が満足しているかどうかが重要であって、
成績が良いとか悪いとか、お金を持っているか持っていないかは全く関係ありません。

要するに選択の結果、自分として納得感があれば良いわけで、
劣等生であっても自分に嘘偽りなく過ごした時間こそが貴重だと言えます。
それは自分の自信につながる第一歩です。

まだ納得できるほどの小さな卒業をしていない人は探し続けても良いんです。
私もそうですから、決して投げ捨てずに小さな目標に向かって一緒に進みましょう。

当事者意識は人からは与えられない

やりがいがないと感じるときはなぜ今そこにいるのか考えてみる

偉そうなことは言えませんが、
私は新卒で働いていた会社でやりがいを持てませんでした。

なにより自分の憧れていたグローバルに活躍するサラリーマンとして、
給与もいい、世間体も良い、将来性もある、最高の職場でした。

しかし、入社して半年で気づいてしまったのです。
「あ、自分はこの会社で働けない」と。

当時新卒としてですから、仕事は難易度が高かったのですが、
数年先を思い描いたときにわくわくしなかったのです。

確かに自分の思い描いた外国語を使って、グローバルに飛び回る、
そんな働き方ができる会社でしたが、
何より毎日取り組む業務が好きではなかったのです。

「好き」「嫌い」というと社会人意識の低い人間と思われるでしょうが、
将来ももっと思い描く仕事ができないと気づいたら、
1日8時間という時間がとてつもなく長く感じてしまうのです。

自分の失敗は「スキル」だけを追い求めていたところにあります。

自分の成長、市場における評価、キャリア、
自己実現と他者評価の2軸だけで就職を決めてしまったのです。

自分は「こういうことをしている時幸せだ」とか、
「ずっと憧れていた仕事はこれだ」とかそういうことは無視していました。

その結果として毎日がとてもつまらないものに陥ってしまったのです。
あなたはなぜ今そこにいるのでしょうか。

何にやりがいと感じているのでしょうか?
これからやってみたいことはなんでしょうか?
何が好きで、どういう時幸せに感じるでしょうか?
少しずつでも変えていけそうなことはありますでしょうか?

当事者であっても当事者意識が持てるわけじゃない

当事者であるから当事者意識を持てるわけですが、
それは当事者だから意識できるわけではないんです。

私は障害を抱える人の生活上のコミュニケーション問題を、
テクノロジー視点から問題解決したいと考えています。

当然障害のある方にたくさんお会いして、いろんなお話を伺いました。

健常者から見れば障害者は障害を持っているのだから、
障害についてよく知っている、自分のことについてよく知っていると考えます。

しかし、実際はそうでは無いと言います。当事者であることを忘れてしまうのです。

障害があるということが普通である以上、
それについて当事者意識を持って考える機会は殆どないそうです。

障害のある自分と向き合って自分はどんな時困っており、助けが必要なのか、
もしくは、どのように解決できるのかを考え、
必要であれば周囲の人に働きかけることができる人は意外と少ないというのです。

当事者意識とは自分の人生のリーダーであること

当事者意識があるということは自分なりのリーダーシップです。
自分の人生に対してリードを取るということです。

目の前の問題や不満にどのように立ち向かうのか、
その態度や方法をどうするのかはすべて自分で決めることができます。

周囲の人とどのように関わりたいのか、どんな人生を送りたいのか、
当事者意識というのは自分や周囲に意識を向けられる状態に至らない限り、
どんなに当事者でも当事者意識を持つことは難しいのです。

私も当事者意識を持てずに仕事に身が入らないことがありました。

しかし、周囲の人に叱咤激励され、新しい出会いを経て、
ようやく取り組みたいと思えたことが少しづつ見えてきました。
まだ確固たる信念に至ったと胸を張れるわけではありません。

当事者意識を持って生きることに一歩近づいたのではないかと思います。
振り返れば小さな達成が積み重なって今を生きることができています。

できないこともたくさんあります。
それでも学べたことも同じくらいたくさんあると感じます。

これからは、自信と責任感と目標のループをさらに高いところで回すこと、
そのために自分の中でしっかりと判断軸を維持すること。

それが、自分の当事者意識を育てることでもあり、
最終的にリーダーシップにつながると信じています。