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SFと哲学から学ぶココロファンになるための考え方

人生の目的は楽しく生きること?

今日は本物の「ココロファン」になるためのヒントについてご紹介します。

誰しも毎日を楽しく、幸せに過ごしたいと願っています。
自分の好きなように行動するのはそのためであり、全てが間違いではないと思います。

しかし、生きていると他人と関わらずにはいられません。
その他人もまた幸せに過ごしたいと願っているわけで、それを邪魔することはできません。

自分だけが勝手に幸せになれるならそれはそれで良いのですが、
ほとんどの人が考える幸せを実現するには他人やモノが必要だったりします。

そして、それが原因となって幸せではなくなったりもします。
例えば結婚した相手なのにケンカで傷つけ合うとか、
ダイヤモンドの権利を争って内戦をするとかそういったことです。

楽しく生きたいのにそうなくなってしまう。

この原因には人間がとても弱いものであるということ、
そして、人間は社会と関わって生きずにはいられないという、
世の中の本質があるからにほかなりません。

もし今1/2の確率でアフリカの最貧困層として生まれたら?

「相手のことを考える」こと。これは小学生の道徳で教わることですが、
そんな意味のなさそうな授業こそ本質的議論だったりします。

自分が幸せになるために他人を怪我させたりしてもいいでしょうか?
平和のための正義を正当化することはできるでしょうか?

ロールズという哲学者は「正義論」という書物を書きましたが、
そこで思考実験的に提案されたのが「無知のベール」です。

これはつまり、「自分が何者なのか不確定な状況で、ヴェールが剥がされた時に、
最悪な状況に置かれる可能性を考慮して議論すれば、
最も公正な正義の原理が導かれる」という主張で非常に多くの議論を生みました。

人間がそれぞれ自らの主張をする時、対立したり、争いに発展することもありますよね。
そのために人間は法律や文化、風習があってそれを守ることで秩序を作ってきたと言えます。

その際の善を考えたときに皆がどんな状況でこの世に生まれるかを分からない状態で、
皆が納得できるようなものを「正義」としようと提唱したのです。

もちろん、こんなこと現実世界ではありませんけれど、
考え方の出発点としてとても感銘を受けた政治哲学でもあります。

一度、カッとなってしまったとき何が正義かを考えるには、
無知のベールという考え方を思い出してみてはいかがでしょうか。

古代ギリシャから議論される幸福論

ちょっと話はそれてしまいましたが、
この幸福の議論は古代ギリシャから議論されています。

人生は物欲や肉欲を追求して楽しく生きるべし。
これは古代ギリシャのエピクロスによる「快楽主義」といいます。

一方で、人生の目的を自己実現と捉えたのが、アリストテレスの「幸福主義」です。
どちらが良い悪いということは決してないと思います。

人間も生物ですから生きることは本能的に刻まれたもので、
快楽主義はそうした「生きる」ことに必要な活動をより追求するわけです。

一方で幸福主義の場合、より高次の欲求である自己実現を目指して、
困難な目標への挑戦を通して高揚感や成長をする自分を幸せに感じられるのです。

この両方が満足されれば、人生は楽しく、満足できます。

マズローの欲求段階説と幸せ

心理学で有名なマズローの「自己実現理論」は人間の欲求を5段階に分けています。

「生理的欲求」「安全欲求」「愛・所属の欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」です。
これらは必ずしも低次元欲求から満たされなければならないということはありません。

例えば高校を卒業して、俳優になるという夢を追いかける人は、
会社などへの所属欲求やお金で満たされる欲求を飛び越えて自己実現を目指しています。

これらを古代ギリシャの幸福論に当てはめるなら、
「安全の欲求」と「生理的欲求」と「社会的欲求・所属、愛の欲求」を極めるのが快楽主義、
「承認欲求」と「自己実現欲求」を極めるのが幸福主義的な立場と言えます。

毎日の生活に困窮したり、病にうなされる日々は決して楽しくありません。
誰からも相手にされなかったり、阻害されていれば楽しくありません。
仕事が褒められなかったり、自分が成長していると感じなければ楽しくありません。
そして、最後に自分が自分らしいことをしていると実感できなければ楽しくありません。

今、自分が何を求めているか問いかけてみたことはありますか?

ぜひ、この機会に私は何に幸せを感じるのか徹底して考えてみましょう。

確かにそれぞれの人の欲求は満たされるべきだけど

もし同僚が「人から相手にされない」と言っていたらあなたはどう思うでしょうか?

「それは、あなたの言い方がきついからでは?」とか、
「自分ばかり成果を横取りしているからでは?」とか、
なんらかのその人の原因を指摘したくなるでしょう。

しかし、実際多くの人がやっていることは同じことです。

「人から認められたい」「愛されたい」「評価されたい」「カッコつけたい」
冷静に他人を見ているときは思わずドン引きしてしまうような理由で、
自分も同じような欲求不満を抱えているというわけです。

多くの場合、相手のことは全く考えてません。

自分だけが満たされたいだけで人を満たすことは考えてません。
このような場合はやはり結局満たされません。

お金で満たされるのは低次元欲求だがそれも大事

お金で満たされるのは欲求の低段階におけるものだけで、
人から認められたり、自分が学習して成長していると感じることはお金で買えません。

もちろん、お金がある程度は必要です。お金がなくてはできないこともあります。
しかし、それが自分にとってどのように大切なのかを考え、
他人の幸せを尊重しながら先に進むことができれば道が見えるはずです。

そうは言ってもやっぱり「老後も不安だからお金が欲しい」と思うかもしれません。
ただ、将来の不安のために今を犠牲にするのは間違いなく不幸でしょう。

人間は弱いので快楽主義に走りがちです。
しかし、その快楽を押さえつけるのもまた違います。

そうではなく、幸福主義を追求することはできるのでしょうか。

SF作品から考える幸福主義

Amazon Primeで公開されているSFドラマアンソロジーに、
フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ』というものがあります。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B078T5KH33

フィリップ・K・ディックは日本ではSF好きにしか知られてない名前ですが、
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を原作にした「ブレードランナー」、
「トータル・リコール」「ペイチェック 消された記憶」「マイノリティ・リポート」といえば、
誰しも一度は耳にしたことがあるSF映画作品であり、それらの原作者です。

実は彼は映画化されたブレードランナーを見る前に亡くなっており、
しかも売れ始めは安いSF小説作家としてしか知られていなかったというのは驚きです。

そのフィリップ・K・ディックのドラマアンソロジー作品がAmazonで見れます。
この第1話が「真生活”(Real Life)」でなんとも考えさせられる内容です。

未来の女性警官であるサラは、同僚をコリンズに殺された罪悪感から仮想現実に逃げて、
現代のゲーム会社の経営者であるジョージとなる。
ジョージは医者のポーラと不倫中に妻ケイティーをコリンズに殺された罪悪感に悩み、
仮想現実に逃げてサラになりケイティーをレズビアン相手とする。
二人はそれぞれコリンズを追いかけ、自分の世界が実は仮想現実ではないかと疑い始める。
ジョージがポーラに諭されて仮想現実をあきらめると、サラは仮想現実の中に閉じ込められて意識を取り戻さなくなる。

もし機会があればぜひ見て欲しいドラマシリーズなのですが、

この第1話のドラマで主人公のサラは幸福主義に基づいて選択しました。
その選択は傍から見たら理解に苦しむかもしれません。

しかし、彼女の軸は明確です。
どちらの世界がより自分らしい生き方ができるかを考えたわけです。

そして、その選択は自分だけが決めることができます。

快楽主義は満たされることがない

快楽主義はどこまでいっても人生に満たされなさを感じます。

快楽主義を追求する幸せは裏返せば人生の苦しみであるとも言えるかもしれません。
一方で自己実現のためにもがくのもまた苦しみがあります。
それもまた人生の苦しみでもあるのかもしれません。

「モノを持つことは成功の一つのしるしに過ぎない」

自己実現の先は世の中への貢献につながる

幸福主義を突き詰めた先に何があるでしょうか?

ずば抜けた成績を残した偉人達の多くは自己実現の苦しみから産み落とされた、
たくさんのしるしを私達に残しているように思えます。

快楽主義と幸福主義のどちらもそれはそれで別の困難があります。

それでも、自己実現を達成することで、
自分自身は真の意味でココロファンになれるのではないかと考えています。

ただ、それは並大抵のことではありません。

一度選択してしまったことは引き返すにも勇気がいるかもしれません。
そんなときもまだ変えられる、変わってやると思えること。

無理になろうとするのではなく、自分のことを追求して楽しむこと。
自分も人が一歩進むきっかけになれるそんな人間を目指したいと思います。