かねてから「自分はどんな仕事が向いているのだろうか」と考えて生きてきました。
なんとなくコンピュータが好きだったのでSEになろうと思っていました。
しかし、実際仕事としてやるということを考えたときにその選択をしませんでした。
その時は明確に理由を考えたというわけではないのですが、
話を聞く限りコンピュータが好きなこととSEとして働くのは全く別のことのように感じたからです。
いろいろな経験をされている方にとっては当たり前の話だと思いますが、
学生だった私はほとんどそれを理解しておらず、かと言って仕事として割り切ることもできず、
直前になって仕事を変えました。そのときには沢山の方にご迷惑をおかけいたしました。
今はそれはそれで良かったなと思っています。
改めて時々コンピューターを触ってみたときにやっぱりワクワクするところは少なからずあるんですね。
エンジニアを名乗れるほどの腕もありませんが、やっぱりコンピューターが好きです。
こうして仕事として関わるとITの業界構造には辟易するところがたくさんありますが、
それでもやはり一人のエンジニアとしてITに関する職業やその将来性を俯瞰したときに、
やっぱり自分の生き抜き方次第でこれほど可能性をこれほどもっている仕事も無いんじゃないかと思えるのです。
逆に言えば自分なりにどう生き残るかを考えておかないと、
技術の流行り廃りに置いていかれたり、レガシーシステムの保守に最適化されてしまうということです。
これは別にエンジニアに限らず他の仕事でも同じことですけれどね。
今回はこれまで普通にSEやプログラマをやってきたという人に向けて、
こういう考え方もあるんじゃない?という一つ提案をしたいと思います。
好きなことを仕事にするのも考えないと嫌いになる
私はコンピュータをいじり倒すのが大好きです。
ハードウェアの組み立てから、ソフトウェア開発まですべて自分で考えて作るのは楽しいです。
しかし、世の中にある仕事を具体的に検討したときに、
私のようなコンピュータに関する雑多な仕事というのはほとんどないか、
あっても価値の低い仕事として対価をいただくことが難しいことがほとんどです。
それは好きなことしかやってないからです。
ゲームサーバーの構築や高性能PCのチューニングは本当にニッチな用途です。
世の中のITはもっと空気のように存在していて、沢山の人が保守することで成り立っています。
すべてを自分の好きなようにやっていて仕事になるということはまずありません。
多くの企業では仕事は分業化されています。
それはそうしたほうが全体で見て最大の成果を発揮できるからです。
そして、誰かが「こういうコンピュータが欲しい」とか「こういうソフトが欲しい」と思い、
それはまたより大きな売上や利益をもたらすような仕事につながるからこそ、
コンピュータやソフトを作ることが一つの仕事になりえるのです。
ジョークソフトやちょっと役に立つソフトはお金を出して購入してくれないので、
それを仕事にすることは優秀なプログラマでも不可能です。
これは単純に市場において対価を支払うような仕組みになっていないからです。
でもこうした活動に価値がないわけではありません。あくまでお金にならないだけです。
このように仕事にすることと好きなことが一致するということはほとんどありません。
こういうところは自分に合っていると思えるなという程度なのかもしれません。
すると、大切なのは自分が少しだけ向いていると思うことで、
どうやってできる限り稼ぐかということになります。
みんなぞれぞれの人生の経営者
「じゃあどうすれば良いのか?」これはものすごく難しい質問です。
先に断れば、自分以外の他人にその答えがわかるわけがありません。
しかし、なんとなくそれが好きだから、それに関係する仕事というのは微妙かもしれません。
それもまた実際に仕事をしてみないとわからないのですが、
もし私がコンピューターに関係する仕事をしていて、
コンピューターを嫌いになってしまうなら多分無理をしすぎています。
しかし、やってみないと意外と気づけないのも事実なのです。
コンピューターが好きでもコンピューターを販売する仕事が合っているのか、
ネットワーク構築や監視が合っているのか、
経営にITを活用することを支援するコンサルティングが合っているのか、
コーディングが合っているのか、
面白いアプリを作っているのが合っているのかわからないですよね。
もっと言えば、バイクが好きだからと言ってバイクの整備士になる必要はありませんよね。
バイク屋さんになる必要もありません。レーサーになる必要もありません。
たとえバイクに乗ることが好きだとしても、レーサーとして生きるのは辛いかもしれません。
実際に最初は好きだったから始めたことが、それを他人から求められる、
つまり対価を頂く仕事とするプロになるとそれが楽しくなくなることは多いと思います。
私が何か言っていても説得力は無いと感じるかもしれないので、
Moto GPの元チャンピオン原田哲也さんの動画をご紹介します。
自分がバイクに乗ることが好きなのか、バイクを売ることが好きなのかということと
バイクと一緒に居られれば嬉しいのか、
バイクを直してあげることが好きなのかということは違います。
自分のためにやることが好きなのならそれは対価をもらえるとは限りません。
他人のためにやることが苦にならなければ対価をもらえるでしょう。
ちなみに、イチロー選手も小中学生の頃に感じていたような、
野球の楽しさ、心から楽しむことはプロではゼロだったと言っています。
今これを読んでいるあなたが次どうしたら良いのかは他人がわかるわけありません。
人のことは本当に全くわからないからです。
でも、生き方、働き方はたくさんあります。可能性は自分で切り開けます。
かつて情報科学の研究者を目指そうと思ったことがあります。
研究者になれば本当に自分が時間を費やしたい重要な問題だけ考えることが仕事になります。
コンピュータが好きというのを突き詰めたところに研究者という選択肢もあるのです。
しかし、多くの人はコンピューターが好きでも研究者を目指そうとは思わないでしょう。
これはもちろん、博士課程に進学することは金銭面でのリスクを伴うことになるからかもしれません。
そして、結局は論文を書かないと修了できないので学位を取れるかは自分次第です。
卒業してもポスドクは溢れていますから、研究者ポジションを掴むことは難しいと言われています。
しかし、すべての人生は自分が経営者であり意思決定者と思えば、
もしそれすらも面白いと思えて挑戦できれば結構幸せなんじゃないかと思います。
結局の所どう生きるかは自分で選べます。それはお金持ちになれるかどうかとは別の話です。
何をやりたいのか、そのことが他者にどういう価値に繋がるのか?
常に自分のことを考えて、次に世の中でどう生きられるのか、
それに自分は満足できる覚悟があるのかを考えたとき、天職が見つかるのかもしれません。
システムを仕事にすることのほとんどは人間的なこと
ちなみに、私の場合システムエンジニアを目指しつつなぜ直前で辞めたのかと言うと、
システムを作る仕事は究極的には単にコードを書くことではないからだと考えたからです。
ITエンジニア、システムエンジニアが仕事で行う作業というのは、
「誰かの考えた仕様をコンピュータ言語に落とし込む」ということであり、
それができる人というだけでも大変素晴らしい腕をもっているエンジニアであると言えます。
人の考えたものを実装することはアルゴリズムを検討するのと同じくらい難しいからです。
現場では「ここはどうすればよいのだろうか」と何度も何度も確認することが必要です。
曖昧な表現のまま具体的なコンピュータ言語に落とし込むことはできないからです。
これが自分一人で作っているものであれば「エイヤ!」で作ってしまえるのですが、
誰かが依頼しているシステムを作る仕事の場合、結局顧客が最終的な成果物を見るので、
自分一人で決めてしまった結果顧客から見て「これは言ってない」などと問題の種になるのです。
だから何度も確認したり、準備をしたりする時間のほうが大切だとも言えます。
無駄な時間のようですがこの仕事をする上で重要なポイントがここにあるからです。
それが仕事としてできるというだけでものすごく才能があると思います。
どんな仕事にも相手がいる以上人間は関わってきますが、
関わり方が変わるだけでだいぶ自分が感じる負担というのは変わります。
繰り返しになりますがITは道具です。それをどのように使うかは人次第です。
一人でサービスを作ることもできれば、巨大プロジェクトに携わることもできます。
良くスキルだけ追い求める人がいますが、
スキルを身につけるのは「自分が何をするかを決めてから」で十分です。
焦る必要は全くありません。対価をもらって仕事をしているだけで十分に立派なことだからです。
自分の将来像とどうしてもずれているのであれば、自分が無理せずにできる仕事を探すこと。
今の状況を打破して新しい環境を掴むのは自分だけしかできません。
それでも、焦る必要は全くありません。究極どんな人でも生きている価値はあると思いますし、
それを見つける時間が生きているということなのだと思っています。
周囲の人にイライラしたり、上手く行かないことに落ち込んだとしても、
まずは自分を大切にして意思決定をしていくということだけに集中して欲しいと願っています。